昭和42年9月24日  朝の御理解


 秋の霊祭を奉仕しましてから、そのあとに残ってある方が、もうみんな帰ってしまってから来まして、佐田さん方だけ残っておった。中にはあの、久富建設の久富正義さんが残っておりましたが、御直会を頂きましてからその後に、ちょうど夜の御祈念の前までおりました。それで例によって繁雄さんと正義さんの二人で私の足を揉んで下さっておりましたが、なんのあの、甘木の平田さんのお話でございました。本当にあの、大した信心を頂かれたもんであるというような話からでございましたけれども、そん時に正義さんがこういう事を話しておりました。この二十日の菊栄会の時に、ちょうど先生の御祈念、御理解を頂く前に、ひろこ先生のお話を頂きましたと。おかげを頂きました。私がおかげを頂いてからみんなに話しましたから、みんなもまたおかげを頂きましたという話を、まああんまをしながら話しておるのを聞きましたんですけれども、ですからあの、( ? )ですから、何か、平田先生がおりますからまた皆さんもお聞きになればまたなお詳しく分かります。甘木の平田さんも、まあ本当に日本、日本の、日本中の信者さんでならば、本当にこの人の右にある意味合いでは出るまいというような信心を頂いておられます。けれども、さすがの嫁さんも、この人だけにはかなわんと、まあ、平田さん自身がいうておられるというような方が飯塚の教会かどっかにおられるという話をしておりました。
 私もその話を前に聞いた事がありましたが、なかなか信心のできた方らしいですね。飯塚の教会も50年か60年かの記念の記念祭の、二回か続けてその、親先生がその方に対してですね、○○さん、今度の記念祭はあんたが一人でおかげ頂きなさいと言われた。まあその、大変な財産を持っておるというわけではないのにですね、まあ何か事業をなさっておられる方らしいですね。それで親先生がそう仰るから、まあいわば、はいと答えて、その事にまあ応えたというわけです。もうその当時の話、その当時のお金でとこういうのですから、今じゃない、もう随分前の話ですけれども、二回なら二回の記念祭を五年おきに仕えてもです、まあ五年、まあ十年なら十年の間にですね、神様へ御用の為に五百万円あまりの借金ができたとこういう、その当時。親先生が仰るからはい、いわゆる借金して、まあその、いうならお供えをさせて頂いたというわけでございます。
 まあこの人の話をですね、その、しながら、平田さんもこの人には一目置いておられるんじゃな、というげな話なんですけれど、どこまでが真実の事かは知りません。けれども、御用頂かれたり、こうしてあの、本当に借金を負うてからでもなさったという事だけは事実なんですよ。大概のものがですね、まあ一回目の、まあ例えていうなら記念祭なら記念祭を、まあ例えていうなら50年なら50年の記念祭を奉仕する時に、何百万借金を負うたと、大きな教会になればやはり、その、金銭もたいした事でございますからね。それでなるほど借金がすまん先に次の記念祭があったと。五年前なら五年前です。その時にまた、まあしめて五百万からの、なら、赤字になったとこういうわけなんです。もうとにかく、信心にですね、おかげという事だとか損とか得とかといったようなものではないという事を思い込んでおかなければいけませんね。
 信心してお願いをして、御用すりゃ助かる、御用すりゃ百万円のお供えをしても二百万円儲からせてもらやあというようなですね、計算ずくのことじゃできろことじゃありません。まあそういう例はあるけれども、どこにもたくさんございますけれどもです、私は先生、その人の話を聞かせて頂いてから、私もどうでも合楽一番の信者になりたいとこう思うと。それで私は思うのです。いうなら正義さんだけじゃありますまい、めいめいがここで本気で信心の稽古をするちいうならばです、本気で一つ合楽の一番のおかげを頂きたいと。私共でもやっぱり、あちらから引き揚げてまいりました当時が二十年前でございます。記念祭とか御大祭を仕えるたんびに思いよったんです。本当にあんな御大祭のお供えぐらいは一人でおかげを頂きたいなというような願いを持っていた。ところがそれから十年後、十五年後になりましたら、私がその当時思うておった事よりもしかし以上におかげをいただけるようになった事だけは事実ですから、やはりそういう祈りとか願いというものを持たなきゃいけんですね。まあそれは予断でございますけれどもね。それで、正義さんはそういう風に申しますから、これは私がどうでんこうでん日本一の教会にならにゃいかんなと私は思うんです。そうすっと、ならそういう願いを持っておる人は日本一の信者になる事ですからね。合楽が日本一の教会になればですよ、いわば合楽一番の御用の頂けれるような、良い信心の頂けれるような私になりたいという願いを持っておれば、その人はいわば日本一の信者という事になる。これはどうでも私もそこに願いを置かなきゃいけんなと言うて、まあそれこそ、まあ夢のような話でございますけれども、願いだけはやはり大きくたて、大きく思い、その事の為に切実に願い、その為に切実な修行をしなければらんです。
 ここでもあるんですよね。そりゃあ大きな願いを持っておる人達があるんです。それこそ、ここの御造営の費用でも私が一人でおかげ頂きたいという人があるんです。けれども今は持ちません。だから一生かかってでもどうでもおかげ頂きたいというようなお届けをする人はあります、いくらも。けれども、そんならそういう大きな願いを持つなら、切実さを持っておるならですね、んなら、なるほどあんたならおかげ頂けるばいといったような切実な修行と信心ができなければだめなんですね。できもせん事をです、ただその時の実感を、そりゃ嘘じゃないです、本当に思うておる。それならそんなごと信心せにゃいかんです。
 私のババが亡くなりまして、93歳でございますね。もう大変、それこそ目の中に入れても痛くないというほどに私を可愛がってくれたのでございますが、本当にやっぱりそう私も子供の時に、嘘じゃない思いとったんですね。まだ五つ六つの時ですよ。それでみんなに話しておりました。私を指してから、この人はあんた、私が死んでいく時には、もうババしゃんのお棺の中に私も入っていくっちからこの人は言いますという喜びよりました。そのくらいにあの、この孫は私の事を思うとるという事をですね、まあ、人にその自慢話にするわけなんです。ババしゃんが死んだらどうするかというとあんた、(俺も?)お棺の中に入っていくもんっちいうてこの子は言いますというてみんなで話しておったのを私は覚えております。実際にそういう事はできるはずはないですけれども、そう言うたり思うたりやっぱするだけでもむごうババが喜びよる、喜んでおったようにです、できませんけれども、言うておるという事だけでも、まあ健気な事ではありますけれどです、それだけじゃやっぱりいかん。実際にそれが本当の形になって現れてくるようなおかげを頂くためには、それだけの信心をせにゃいかんです。
 夕べ私は寝ながら思わせてもらうのが、正義さんのそういう話を聞かせて頂きながら、まあ私が話すことでございます。そうたいね、本当によう信心を頂かにゃならんばってんね、例えばそげん親先生とんなら、ここに、中野さんなら中野さんという人がおらます。なら私とその中野さんという仲に、中野さん、今度の記念祭はあんた一人でおかげ頂きなさいと言えれるような仲というものを日頃作っておかなければいかんという事です。
 私は今度の開教式には、二百万ばっかりかかるわけです。おかげ頂きなさい。はあ私が、私もおかげは持っておりはしますが、というのじゃなくてです、親先生がああ言いござるけん、まあ借金してからでも、はい、おかげ頂きますとこう言えれる信心を頂いておかなきゃならん。誰にでも彼にでも、まあその飯塚の先生が言われる、この氏子なら言うたっちゃびくともせんというようなものを持っておられるから言われたんじゃろうとこう思う。誰にでも彼にでも言われなさるはずはないのです。日頃その人の信心を見込んでござる。この信者ならばとこう思うてござるからそれを言われるだけの事。とてもこの信者はそげなん事でも言いよんならばもうびっくり仰天してから、もう信心を止めてしまう、かもしれません。いや、おそらくはやめてしまう人がほとんどでございましょうね、合楽の方達であったら。何百万。
 先日、天王寺の教会の新築落成があったそうでございます。八千万かの計画したやつなんです。その時に、それが実現はしなかったけれども総代達が五百万円ずつおかげを頂くごとなったそうです。その為に、まあ信心を、いろいろまあ、そういうような事を私は、その、できもせん者に、力もない者に、信心もできん者にです、それは割り当てだというて、私はその、その事に別な事でおかげを頂かれたらしいんですけれども、そういうような事が書いてあった。だから総代の御用を頂くならばです、そのくらいの事は本当に、私がおかげ頂かせて頂きたいちゅうぐらいの願いを持つような信心をせにゃいかんです。言われたら信心をやめたというような事では、正義さんも言うておりますように甘木の平田さんでも、この人にはいつもこう言うてござるのじゃなというような信心を日頃してござるから、親先生が今度の記念祭はあんたが一人でおかげ頂けと言われた時に、自分が持っておるはずはないから、はいと答えた事は答えたものの、実際はできないから借金を負うてから、その、決めておる奉仕したところでございます。しかもそれが、二回にもわたって続けられたというのです。当時の金で五百万円という、その借金、今の五百円が五百万に値するぐらいでしょう、けれども、当時の五百万というのは大した事だったろう。だから相当事業も大きくした人に違いありませんよね。
 ところがです、その当時に、鹿児島にたくさんなその、まあ、田んぼを売りに出たそうですね。それをお伺いをしてから買わしてもらったそうです。もうそれこそ田植えもできない。塩水が入っておるようなその田んぼらしいんです。そりゃお水を換えてもらったけん買うたけれども、それこそ何にも本当に田んぼに手をつけたような事だというて人は笑ったそうです。ところがそれが十年後、または十五年後かしりませんけれどもですね、そこに何か製薬会社か何かが、その、できてですね、そこんところを大変な高い金額で売れたとこういうわけであります。もちろん五百万ぐらいな借金はもういっぺんにおかげを頂いたんでしょうけれどもです、そういうようなところがそのおかげの元になるとはみんなが夢見ておる。
 これなんかは、あの、高橋さんところの近所の清松に大丸という家具店がありますよね。もう戦時中に大変な、もう、どこもここもがその、爆撃でやられておるという時代にですね、甘木の親先生がその方に対してから、その辺の地区一角を買うとけと。その辺だけが爆撃でやられなかったんです。その方は甘木、当時から御本部へ月二回お参りされた。福岡の千代町から毎日甘木には日参なさった。だからそういうような信心。とにかく夜は御祈念に行き、ちょうど箱崎からこう、あの辺からまだ一里あるところですから、毎日修行でその、いわゆるお百度参り。たとえばそういうようなその信心をしておるから、その甘木の先生がです、そのかわりに甘木の先生が、○○さん、お金がいるばいと仰った時には、もういつでも家蔵財産は金光様の為にいつでもお供えができると、これはもう誰の前でもそれを言うておられる、嘘じゃない。本当にそう思い込んでおられる。そういう例えばですね、なら大きなおかげとか大きな信心とかができると。そこにはやはり、そこの親先生という方が偉い。そういう教導をなさっておられるのであるから。けれどもその、それを誰にでも彼にでも言われる事じゃないという事です。
 今度の開教式には、それでまた、まあ、二百万かかるとして、十人の総代が例えばおりますから、あんただんが十万円ずつおかげ頂きなさい、あと百万円は一般信者でおかげ頂いたらいいじゃないかと言えるような、私がそれが言えるようなです、またそれがはいと受けられるようなです、先生にもなりたい、総代にもなってもらいたいという願いは私は持っておるようですね。先生が言わっしゃったから度々に借金を負うた、先生が言わっしゃったけん買うたけれども、これだけは田んぼにいる、いわば金を捨てるような事になったというような事でですね、信心がぐらつくような事では、なら(  ? )的なおかげにはなってこないという事。最後が最後まで、親先生がそう言うて頂いた事を、にです、損とか得とかじゃない、考えの、そういう考えのおこってこない信心をですね、お互いが頂きたいもんだと思うですね。例えば神様がそういう信者を私は求めておられる、そういう度胸のある信心を願うておられる。だから昨日正義さんが申しておりますように、平田さんでもこの人にはいつもこうやってござるげなと、大した信心じゃと、自分達も頂きたいというならです、なら私が、正義さん、さあいついつは百万いるばい、いつは二百万いるばい、という時に、あんたがさあ持っておる山でも何でもばーっと売ってしもうてからでも百万でも作れれるようなあんたになる為には、私があんたにそれが言えれる、言えれる私とあんたにならなきゃいけんねというて、まあ(?)のあんまをしてもらいながら話したことでございます。私も言いきらん、まだ。正義さんもまだ言うたからというて受けはきらん。けれどもそれが、言えれる、受けれれるようなですね、信心を頂く為にはどういう信心をさせて頂いたらいいだろうか。誰彼って、そりゃもうあげなんおかげとか言うけれども、そのおかげには必ず人が真似んできんごたる信心ができておるということです。皆さんあたりがおかげを受けておられますけれども、そりゃびっくりするそのおかげのところだけは素晴らしか。けれどもそれにはそれだけのやはり信心がちゃんとできておるという事です。だからそういう信心を一つ本気で目指させてもらわなければいけんですね。この人に例えば、金光様の信心では、お供えなんかの事なんか、教祖様の(これかかり?)でも仰っていない。私共でもお供えの事は言わん。お供えとおかげというものは(つっかえ?)じゃない。お金は一銭でんなかっても、お願いにくりゃあお願いもさせてもらうし、またおかげも受ける。けれども、そこまでの例えば信心がです、できてきたら、それだけの度胸ができてきたら、それだけの事ではない、もう一事が万事にです、楽な事だろうとこう思いますね。
 どうでしょうか皆さん、ここの場合、まだ五カ年計画でここの、銀行からの借入金が支払うのが残っておる。それを、あんたが一人でおかげ頂きなさいっち言う。言われたら自分がそれを本当に、ああ、これで一徳受けようといったような元気の出るような人があるだろうか、いや本当にそういうおかげ頂きたいというような人があるだろうか。先日からそこの門の前の、門じゃない、門の仕上げをするのに百万かかるというのである。ある婦人会の会員の方が、主人に向かってこういうことを言っておる、そりゃお父さんおかげ頂きなさい、五万円づつ二十人がおかげを頂いたらできるじゃないですか、誰彼言うこつがいるですか、合楽にそんくらいじゃったら二十人ぐらいおりますけん、五万円づつおかげ頂いたら・・?というてから、横からお父さんに言うんです。それどこじゃなか、けれどもその、例えばそれぐらいすらが、んなら、なかなか言えれる人は合楽にはまだおらんという事。また私もそれを言えれるだけの信心を頂いていないという事。
 今度の開教式には、総代さんあなた方で五万円ずつおかげを頂きなさい、そうすっと、十人ありゃあ五十万できる。あとの信者で五十万それぞれの方がと、例えば私が言いきらん、また、んなら、言える総代の幹部もいないという事。またそりゃだいたい生き方が違うことは違います。私はおそらく一生そりゃあ、おそらく言わんかもしれません。けれどもそこまで、やはり、その人の信心(より?)という事。また言われた事にそこまで、親先生の仰る事は神様の仰る事として受けられるという事は、私は大した事だとこう思いますけどね。
 昨日、正義さんの話を聞かせて頂きながら、平田先生が話したというその話に、おかげを受けたという話を、おかげを受けたとこういう話を聞かせて頂いた。その時正義さんあんたがおかげ頂きなさいとは、私はまだ言いきらん。なら、そんくらいの事を持っとるです、山いちょ何百万、一つの山を売っただけでもある事を知っておるなら、あんた一山いっちょ売りなさい、あんたがおかげ頂きなさい、と私は言い切らん。けれどもそういう、しかし、願いを立てた、立てておる事だけは事実です、正義さんなんかは。これは正義さんだけの事だけじゃありますまい、みんなもそんな願いを立てておる人はあるという事。そんなら、願いを立てただけじゃいかんって。願いを立てた時、それだけの信心修行をさせて頂いてこそ初めて、まあ( ? )もできれば( ? )もできるのじゃなかろうか、と私は思うですね。そういう信心を一つ(目指させて頂きたい?)、お互いが、どうぞ。